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あれから9年経った

所要時間: 約 15分

フリーランスに転向した頃から「あれからn年経った」というタイトルで、1年に1度その年の成果を記事にしてきた。実施してない年もあるが、去年から再開することができた。だから今年も1年の総括をする。その時にどんなことをを感じて、どう行動したのか、についても適宜書くことにする。

2022年を全力で取り組んで、そしてふと振り返ると、今年も実りのある1年となっていた。とりあえず「おつかれさまでした」という言葉と共に自分自身を労いたい。ここから先は2022年の私の思い出話だ。年末に丁度よい暇潰しがないなら、読んでもらえると嬉しい。

過去分

Github上での活動記録

https://res.cloudinary.com/symdon/image/upload/v1672455319/blog.symdon.info/1670724342/%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%83%E3%83%88_2022-12-31_11.53.31_qv3j17.png

書籍の監訳/翻訳/出版

ここ数年、書籍に関連するお仕事をさせていただいている。私にとってはとても名誉なことなので、できるかぎり力を尽そうと思い、取り組んでいる。今年は例年よりも、書籍に関する仕事に時間を投入した。

書籍関連の話は全体的に言えることだが、読者あっての書籍だ。御購入くださった方々には何よりも感謝している。SNSで知り合いになり、私が関わった本だからという事で購入してくだる方もいて、本当にありがたいことだ。また応援してくださった方々や、各関係者の皆様の支えがあって何とかやってこれた。感謝の念は本当に強いのだが、文に書き始めるといたる所でその事について書いてしまうことになるため、感謝の気持ちについては、ここに書くに留める。

本当にありがとうございました。

それでは成果を書いていく。

SQLクックブック第2版を監訳し出版した

「SQLクックブック 第2版」を監訳し出版した。実際にはこの作業の殆どが2021年の作業であり、実際2021年の振り返り記事「あれから8年経った」にも記載している。2021年中の出版を目指していたように思うが、結局作業が2022年までかかった。出版できた頃にはもう2月になっていた。できるかぎりの力を尽した。

SQLクックブックサポートページを作った

上記で「SQLクックブック」の監訳の話を記載したが、その書籍のサポートサイトを作成した。監訳作業自体は2021年の作業だったが、この作業は2022年の作業だ。「SQLクックブック」では、いろんな課題に対するSQLの書き方を紹介しており、複数の種類のデータベースを対象としている。SQLの特徴の一つに共通規格はあれど、それぞれ独自の機能や構文を有していることがある。例えばOracle Databaseで動作実績のあるSQLがMySQLでは動作しないことがある。データベースを触れる機会の多い人からすると、これは常識ではあるが、書籍として複数種類のデータベースをサポートするということは、必要であればそれぞれにSQLを書き分ける必要が出てくる。環境を準備する方法もそれぞれ異なる。そこでサポートサイトにその旨を記載した。

マイクロフロントエンドを翻訳し出版した

2022年の3月頃からは洋書の翻訳に取り組んだ。技術トピックとしては割と注目度の高いテーマだった。作業を始めてから数ヶ月間は、空いている時間の全てを翻訳作業に使った。4月が過ぎ、5月が過ぎ、夏が過ぎ、翻訳作業が完了した頃、気が付けば季節はもう秋も真っ只中になっていた。その間、たくさんの事があって、本当にいろんな事があった。ここでしっかりと振り返りたかったのだが、まだ心の整理ができていない。だから、それは別の機会に行うことにする。翻訳をやりきれた事、これは私にとって大きな財産になった。翻訳を生業にしている方の凄さというものを実感した。

当時に投稿していた記事を見てみると、なんだか辛そうだ。それだけ頑張っていたということだと思う。2022年で一番頑張ったのは間違いなくこれだろう。

マイクロサービスアーキテクチャ 第2版を査読した

マイクロフロントエンドの翻訳作業が終わると同じぐらいのタイミングで「マイクロサービスアーキテクチャ」の査読に協力させていただいた。監訳、翻訳と書籍で大役を任せて頂いていたが、査読はある意味では読書を楽しめた気がする。新しい知識を増やすということは、とても楽しいことだと思った。「マイクロフロントエンド」もそうだったが「マイクロサービスアーキテクチャー」も著者の考え方の成分が多い技術書ではあると思う。以前はそういうものについてネガティブな印象を持っていたが、ここ数年は「客観的な事実」よりも「誰かが考えた事」の方が大切なのじゃないかなと思うようになっていた。まあ、その二つはどちらも大切だし、比較をする対象として適していないようにも思える。ただそういう感覚を持っていたからこそ、この書籍をより楽しめた。「マイクロフロントエンド」や「マイクロサービスアーキテクチャー」は、事実と考えとその結果をちょうどよく配分されており、少しだけテクニカルエッセイ的な風味もある。両書籍のそれぞれの著者は、できるだけ中立の立場に立とうとしているようにも思える。少くとも私はそう読みとれた。この姿勢は素晴しい。自分もそうありたいと思う。

マイクロアーキテクチャを実践に移すシステムは、かなり大きなシステムだと思うが、その時の資料としては力を発揮すると思う。あと両書籍とも実践の為には結構な練習が必要なんじゃないなかとも感じた。

テクニカルエッセイといったものについても、そういうものに貴重な学びがあるんだなぁと感じるから、いつか考えをまとめてみたい。

「SQLではじめるデータ分析」の監訳作業

これは今まさに作業がクライマックスなのだが、「SQLではじめるデータ分析」という書籍の監訳作業を行なっている。今回はとある大学の先生と共同で作業をさせていただいた。これはとっても心強い。色々とご迷惑をおかけしてしまってはいるが、何とか足を引っぱらないようにと思い、頑張っている。期限はあと少しなので全力で取り組みたい。

自由ソフトウェアやOSSの活動

日々、自由ソフトウェアやOSSを利用させていただいている。私はこれらの考え方が好きなので、少しだけでもそれに関連した作業に時間を使おうと考えている。ここでは、関連する活動の中で、少しだけ形になった(もしくは、ならなかった)ものを振り返る。

Magitへプルリクエストを送った

私はEmacsユーザーなので、GitクライアントにはMagitを使用している。使用していたところ、バグなのではないかと考えられる挙動を見付けた。過去のMagitの挙動を調べ、あるタイミングから不自然に挙動が変わっていたため、そのレポートと共にプルリクエストを作成した1。結果的には、意図してその挙動が変更されたことが判ったため、プルリクエストはリジェクトされた。少し残念な気分になったが、これ自体は妥当な理由だったため、結果についても納得している。そういう活動を自分から行ったことに対して、自分を褒めたいと思う。

change-case.elへのプルリクエストを受け取った

プログラミングをしていると変数名や関数名を複数単語を繋げた文字列にすることがある。この方法はプログラミング言語やコーディングルールによって取り決めがあることも多く、それぞれのスタイルには名前が付いている。パスカルケース、キャメルケース、スネークケース、ケバブケースなどのことだ。これを相互に変換するライブラリは各種言語で実装されていることが多い。Emacsでの文字の変換頻度は結構多いため、このような機能は欲しくなる。惜しい実装は幾つかあるものの、自分の要件を満すものがなかった。だから自分用に2020年に実装し、Gistにホスティングしていた。

名称単語の繋げ方と備考
パスカルケースPascalCase単語の最初の文字を大文字にし、他を小文字にする。
キャメルケースcamelCaseほぼパスカルケースだが、先頭文字を小文字にする。
スネークケースsnake_caseアンダースコアで繋げる。
ケバブケースkebab-caseハイフンで繋げる。
パスケースpath/caseスラッシュで繋げる。この呼び方は一般的ではない。
ドッテドケースdotted.caseドットで繋げる。この呼び方は一般的ではない。
chanse-case.elがサポートしているスタイル

それを継続的に使用し、Gistへバグレポートを頂くこともあったため2、コントリビューションを受け入れやすくするため、Githubに移行した3。Githubに移行して暫く放置していたのだが、親切な方がプルリクエストを送ってくれた4。実はこのライブラリはMelpaのようなパッケージリポジトリには登録していない。そのため使用するためにはGithubから直接取得する必要があり、Emacsでそれを行うには一手間かかる。それにも関わらず、その人は使ってくれて良くない実装に対し修正をくれたということになる。これは本当に嬉しいことだ。感謝の気持ちを伝えたいと思った。プルリクエストは当然マージした。私の端末では、その人のコードが今日も動いている。

ソフトウェア開発

ソフトウェアの開発にも全力で取り組んだ。仕事の内容は基本的に公開できる情報は少なく、例年も「今年も開発頑張りました」程度しか記載できないのだが、今年は書ける範囲でもう少しだけ振り返ってみたいと思う。

障害対応

詳しくは書けないが障害対応を頑張った。基本的に外注の立場であるため、最近は運用から離れることが多かった。そのため長期間に渡って臨戦態勢を取るようなことは、暫くなかったのだが久々にそういう機会があった。いろいろと対応し、一旦落ち着きが戻ってきた時は、本当によかったと思った。舌が痺れっぱなしだった。本来であれば障害というのは無い方が良いのだが、発生した時にはまだちゃんと頑張れるということが、自分の発見でもあった5

外部への発注

フリーランスとなり、ずっと仕事を受ける側であって、発注する側になることはなかった。周りに支えられながら、なんとかやってこれたと思う。一方、自分の抱える作業が多くなり、また法人としての仕事もあることから頭の切り替えも多く、認知能力とパフォーマンスの低下という問題をずっと抱えていた。その問題を解決するため、外注可能な仕事を分別し、1月から3月の間は知人に仕事の協力をしていただくことになった。この3ヶ月間はとても学びが多かった。というのも、仕事をお願いするということは、仕事を整理し適切に割り振って行くという能力が必要であり、そのコストが想像以上に大きかったということを学べた。曖昧なイメージや指示は、仕事をしていただく上でも混乱を与えてしまい、コミュニケーションにも支障が出る。本来はもっとこのことに取り組むべきだったが、どうしても時間を捻出できなかったため、3ヶ月間ということになった。これは今後も続く問題でもあるため、またさまざまな事を整備した後、再チャレンジしたい。

開発

私の本業はソフトウェア開発なので、それに従いソフトウェア開発に取り組んだ。今、開発しているものは、ほとんどWeb系のシステムだ。なんとかやってこれたが、認知能力の問題やもともとの能力的な限界で、他の開発者をはじめ関係者にはご迷惑をかけてしまったように思う。関係者の皆様には感謝の念しかない。これは来年仕事でお返しできればいいなと思う。

その他の取り組み

書籍と仕事で手一杯な1年ではあったが、合間を使って全く新しい取り組みも始めることができた。

ゲームサーバー運営

知人数人と一緒にゲームサーバー運営を始めることにした。マインクラフトのようなゲームサーバーを使って運営を行っている。サーバーはGoogle Cloud上にデプロイした。海底基地も作ったし、麦畑も作ったし、天空要塞も作ったし、クリスマス会もできた。以下はその時の様子を文章にしたものだ。

ゲーム配信

上記のゲームサーバーを運営している関係で、ゲーム配信も始めた。これはまだお披露目できるような状態にはなっていないが、また来年良い報告ができるように頑張りたい。

個人的な事

今だにインターネット上に個人的な情報を載せる事に少し抵抗がある。そのため、毎年個人的なことを少ししか書かない。今年もそれに従い、少しだけプライベートなことについて書くことにする。

事故と怪我と入院

家族が大きな事故に遭遇し、かなり大きな怪我をしてしまった。そのため入院となり1ヶ月ぐらいだろうか、入院していた。健康や普通の生活ということの大切さを再認識した。こういう事は唐突に訪れる。

骨折

1回目は9月、2回目は11月にそれぞれ肩と肋骨6を骨折した。両方とも自分の行動が招いた結果ではある。周りの人に大きな迷惑をかけてしまった。これは反省するしかない。

家に帰る

実はしばらく家に帰っていなかった。今年、4年ぶりに家に帰ることにした。結局1ヶ月程度滞在し、諸事情により、また家を出た。きっと、もう帰ることはないだろうけれど、それでも今回帰ったことは良かったと思う。ちなみにここで言っている家は実家ではなく、実家はもっと帰っていない。そう思うと「家とは何か」ということを考えさせられる。

資産の整理

今まで自分の資産についてちゃんと考えたことはなく人任せにしていた。資産なんて大してないんだけれど、大してないものですら、どうなっているのか全く把握できていない。しかし、このままではまずいと考え、それらを整理することにした。まずは何が何処にどれだけのかという基本的な事の把握からだった。これは2023年に持ち越すことになる。

体調とかSNSとか雑多なこと

体調面で特に困ったのは、集中した時や歩行中やふとした時に突然、首を振ってしまうようになった。精神的なものが原因なのだと思うが、これが結構ストレスだ。一番酷かったのは春、夏だった。この頃はこの症状に本当に戸惑ったが、今は少しだけマシになっている。混乱したり、孤独感に襲われたり、どうしようもない気持ちになった時の、正しくない判断や不用意な行動に注意しようと思う。このことは別の機会に振り返ることにする。

SNSは完全に使わなくするのではなく、また入り浸ったりすることもなく、適量の範囲で利用したように思う。また、他のみんなが飲みに行ったり、いろいろと楽しんでいる様子が目に入り楽しそうだなと思ったが、ただ粛々と仕事をした。羨しくなかったわけじゃないが、自分にはやるべき事があって、それには大きな時間が必要で、それをするチャンスを頂いている。以前は仕事がなかった時期もあったから、この状況にある以上、役割を果したいと考えていた。そうやって毎日を積み上げた結果、今年はこんなに実りの多い年となった。

最後に

今年はたくさんの事について考え、文章にしてきたように思う。その他にも色々なことがあった。それらを全て思い出すことはできないけど、振り返える事ができてよかった。様々な活動を通して、自分だけでは抱えられない程に沢山のものを得た。大切だったり、そうではなかったり、欲しかったものだったり、気にも止めていなかったようなものなど様々だ。得た事については感謝をしたい。ただ今抱えているものは自分のものではなく、預かり物だと思っている。一時的に渡され、次の走者に渡していくものだと思う。だから今持っているものを手放して行く必要があると考えている。自分が持っていても、能力として活用できないものだったりするからだ。少し怖いけれど恐れず、少しずつ手放していこうと思った。来年で30代が終わる。フリーランスに転向し、上京してから10年かと思うと、あっという間だった。自分としては全力でやってきたし、かなり生き方が変わった。いろんな仕事をさせて貰った。特に本の仕事をさせて頂いたことは良い思い出になった。30代はもう少しだけあるので、全力で目の前のことに取り組んでいくことにする。

なんか凄い量の文章になってしまった。これも2022年という年が充実していたということなのだろう。本当に実りの多い年だった。また来年も粛々と取り組んでいこうと思う。

それでは良いお年を。


6

2回目の骨折は、面倒すぎて病院にすら行かなかった。だから、実際には本当に骨折しているのかすらわからないが、説明が面倒なのでもう骨折ということにする。