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明日の自分へのメッセージとして文章を残している

所要時間: 約 5分

このブログは、僕が考えた事を記録しておくためのものとして続けている。技術的な内容が多くはあるけれど、完全に正しいものを書こうとしている訳でもないし、主観を排除しようともしていない。むしろ、主観を盛り込もうとさえしている。ジャンルとしてはテクニカルエッセイに近いものだろう。しかし技術的な内容に拘っている訳でもなくて、ただ単純にプログラミングとかソフトウェアが好きだから、そういう内容が自然に多くなっているだけだ。誰かの為に書いている訳でもなく、自分の為に書いている。もちろん僕の書いた文章が誰かの役に立つなら嬉しいけれど、それを目的としている訳でもない。

僕はある時期、精神的に追い詰められていた。仕事は思い描いた成果を出せない状況でひたすらもがいていたし、家族との関係はもやは修復不可能な程めちゃくちゃになっていて、絶縁一歩手前みたいな状態になっていた。人との関わりは極端に少なくて、1週間の内に誰かと話をするのは、オンラインミーティングの5時間程度だったりした。何かをやろうとするにしても、仕事が上手くいっていないその状況で、仕事以外の事に時間を使う事にも気が進まず、日々の仕事を何とかこなしていた。今もたいして状況が改善した訳ではないけれど、まあ酷い状態だった。

そんな時に心の支えになったのは、Web上に転がっているちょっとした文章だった。周りにいる人にはきっと支えられていたはずだけれど、そうは全く思えなかった。それは自分の未熟な人格と思考力によるものからかもしれない。でも、それぐらいに周りが見えなくなる程、一人でいる時間が長かったし、身動きが取れない状況やいろいろなプレッシャーに押し潰されそうだった。

これが未成年や20代前半なら、まあ理解できなくもないけれど、いい歳したおじさんが、こんな事を言っているのだから本当にみっともない。ただこの"みっともなさ"をむしろ大切にして、ちゃんと受け入れて、"みっともない人"としてちゃんと生活しようという事が、最近の目標でもある。

Web上の文章に話を戻す事にする。僕が読んだ文章で心を動かされた文章がどんなものだったかは「何度も読み返したくなるWeb記事」でその一部を掲載しているので、ここでは詳しくは触れない。

それらの記事は、最近書かれたものもあれば、もう10年以上前の文章もあった。その人がその時にどんな事を考えたり感じたりしたのか、という事が書かれていた。いずれの文章も、時間が経っても色褪せないような部分がどこかしらあった。

古い文章は、しばしば文章内のリンクが切れている。参照しているリンクにアクセスしようとすると、その記事は削除されていたり、ドメインが有効でなかったり、いずれにしてももうその文章を読むことはできない。きっと消えた文章の中に素敵な文章があったんじゃないかと思うと、この状態がとてももったいないと感じた。

僕が気に入っていた文章は、他の人からするとそれほど良い文章とは思えないかもしれないし、きっと誰も気にも止めない文章だったりする。でも僕には、いろいろと感じさせ考えさせてくれる文章だった。これは事実だ。文章の良さは人によって変わるという当たり前の事だけれど、これはとても重要な事だと思う。誰か1人だけに深く刺さる文章というもの素敵だ。しかもその誰かはもしかしたら、まだ生まれていないかもしれない。数十年後にその文章を読んだ人が、その文章によって何かを考えたという事があったらとても素敵だ。

先に紹介したリンク先で掲載している文章は、どれも良く推敲されていて、整っている。それはそれで良いけれど、整っている必要はないし、むしろ整っていない方が伝わる事もある。体裁を整えたいなら、読み手はAIを使う事で、体裁を整えられる訳だから、素材に近い状態の文章を残しておく事にも意味がある。

僕はソフトウェアの開発を生業としている。技術的な進歩、流行、廃れが速く、日々勉強をしていないと周りから置いていかれる。僕は会社員ですらないから、もし取り残されたら文字通り本当に野垂れ死んでいくのかもしれない。実際にリーマンショック後に仕事がなかった時期はあるし、普通に有り得る事だろう。業界的には人的流動性が高く、転職はできるかもしれないがクビになる事だってあるし、実際にそうなった。若い世代は優秀で様々な新しい技術を使い熟しているし、上の世代は幅広い知識を持っていてそうそう太刀打ちできるようには思えない。自分は常に中途半端な状態で、なんとかやっているに過ぎない。

なかなか苦しい状況ではあるし、苦しい状況というのは人それぞれだけれど、そんな時に出会うちょっとした文章によって「今日ぐらいは生きてみようかな」という気分になったら素敵だなと思う。自分の書いた痕跡が、そういう事を引き起してくれるとちょっと良いなと思ったから、文章として残すようにしている。

また自分の書いた文章を自分自身は忘れている事がある。たまたま検索結果に表示された文章に目が止まり、ちょっと読んでみようなかと開いてみる。するとそれは、過去の自分が書いた文章だったりする事もある。内容も書いた事も、もう完全に忘れていてはじめて読むような感覚になるけれど、どことなく良さを感じる。過去の自分が出した手紙を、自分で受け取ったような気分になる。そう考えると自分の書く文章は、明日以降の自分への応援メッセージなのかもしれない。ちょっと大げさになってしまったけれど、そんな事を考えていた。