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2022年07月19日に「死後強まるサイト」というブログ記事が投稿された1。私はこの文章を読んで、「そういう考え方もあるのだな」という小学生のような感想を持った。それ以外には特に何も感じず、ただ読み流していた。しかし、どこかひっかかるところがあり、ずっと頭の隅にあったように思う。何がひっかかっていたのかは分からない。もしかしたらハンターハンターの「死後強まる念」というものがキャッチーで、単純にそれの影響でこの記事を覚えていたという、それだけのことなのかもしれない。

イーロンマスクがTwitterを買収してから、Twitterの話題を聞くことが多くなった。私はアカウントこそあるが、Twitterからはもう離れてしばらくたつ。今は告知がある時に告知内容を投稿するだけになった。以前のように張り付いたり、日常のあれこれを投稿することはしてない。それはMastodonやFacebookを始めSNS全般的にそうなのだが、この話は内容が逸れてしまうため、ここではこれ以上記述しない。

イーロンマスク氏は2022年12月09日に「15億個の休眠アカウントのIDを開放する」旨の投稿を行った2 。「休眠アカウント」というものを、どのように見分けるのかという具体的なことまでは言及していないが、長らくログインもツイートもしていないようなアカウントを対象にするともとらえることができる投稿も併せて行っている3 。これはTwitterの公式見解や公式アナウンスではない。公式見解があるか探してみたが、それは見付けられなかった。Twitterの休眠アカウントへの公式なポリシーは以前から存在する4。そこには「アクティブでない期間が長期にわたると、アカウントが恒久的に削除される場合があります。」と記載があり、また6か月毎にログインするように促している。今回の発言が、そのまま実行されるかどうかは不明だが、同じような対応は以前から可能であるし、実際数年前にも休眠アカウントの削除のニュースが出回ったことはあった。

これらの話題を聞くと、死去した人が所有していたアカウントが今なお存在し、影響を与え続けるとう状況があるのだなと実感する。それ自体は対したことではなく、これまでも文書や言い伝えなど、様々な形で後世に影響を残している人はたくさんいる。ただそれらのツールのひとつとなりえるほど、Webが成長したということなのだろう。

世界中に影響を与えられる人はそれこそ少ないが、身内に影響を与えるくらいであれば、とても現実的に思えてくる。遺書や遺言といった形式や、お墓参りといった宗教色の強い方法も、そういったものの一つだろう。ただSNSやWebの文書というものは、そういった昔ながらの方法よりも、一層身近で影響を与えやすいと思える。なにより参照しやすい。私にはお墓は必要ないから作って欲しくないが、その代わりに自分の活動の痕跡を、文書としてWebの片隅に設置しておきたい。死んだら放置され、それでもなお身内やそれ以外の誰かが私の文章を読んで、何かを感じたり考えたりするきっかけになれると素敵だなと思う