しばらく前から抱えていた作業が終わり、少しだけ時間に余裕が出来た。着手した頃は2月の下旬だったから8ヶ月間ぐらいかかった。長い戦いだった。作業に着手した頃は冬だったはずだが、気がつけば春も夏も終わり、もう秋真っ只中となっていた。
この数ヶ月間の記憶はない。記憶がないというよりも、仕事している記憶があるだけだ。仕事だけに集中するようにしてきたのだから、当然そうだろう。そう言うと生産性を爆発的に向上し、それはもう凄い成果を上げたかのように聞こえるけれども、実際はそうではなかった。ずっと自分の認知能力と記憶力の衰えと戦っていた。
認知能力と記憶力の衰え自体はこの数ヶ月で始まったことではなく、数年前から問題が徐々に表に出るようになっていた。どういう状態かというと、物事を覚えられない、事実や出来事を忘れている、考えようとしても情報が整理できない、推論や論証ができないといった状態だ。伝わるだろうか。喩えるなら、料理でカレーを作ろうとして、野菜を切って鍋に入れたけれど火にかけていなかったり、カレーのルーを買い忘れていたりといった具合だ。その結果、いわゆる「ドジっ子」とか「天然」などと呼ばれるような行動を取ることになる。もちろんこんなことは誰にでもあることだ。しかし、その頻度が多くなり、仕事上でそのような状況が出てくると、それなりに大変なものだ。自ら体験することで、それがよくわかった。
この状態の原因は、年齢によるものもあるかもしれないが、主な要因は頻繁に頭の切り替えを迫られる事に対するストレスなのではないかと感じる。私の能力は、一般的に見れば元々低い方だが、それでも日常生活に支障が出るほどの問題にはならない。しかし他の要因で更に能力が下がると、途端に様々な事に支障が出てくる。だから、なるべく頭の切り替え回数を減らせるように、覚えることを少なくできるように、考える事を減らせるようにと、様々な手を打ち生活の微調整を続けてきた。その結果、本当に「なんとかやっている」という状況をずっと続けている。周りのエンジニアと歩調を揃えることも難しかったし、結果的に足を引っ張る形になってしまったが、それでもいろんな人が見て見ぬふりをしてくれたり、サポートしてくれた事によってなんとかやってこられた。
そのような状況であっても、目の前の仕事を進める必要はある。物事を考える事はとても大切なことだけど時間がかかる。だから時間がない時には、その事柄を一旦忘れて、目の前の事に取り組んできた。そして時間ができたら一旦忘れたことについて、ちゃんと振り返ろうと考えていた。そして少しだけだが時間に余裕ができた。ちょうどふりかえるにはちょうどよい時期だ。また息が浅くなるけれど、現実は受け入れられるように、一旦忘れることにした宿題を解消していこうと思う。