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所要時間: 約 2分

Emacsと僕のinit.elについて少しだけ考えた事を記録しておく。

何がなくなっても、Emacsとinit.elは常にそこにある。Webにアップロードしてあるから、基本的に失う事はない。それらがあれば、どんな状況であってもまた戦える。

人から見たら大袈裟で、ちょっと厨二っぽくて、バカらしい表現のように思えるかもしれない。それでも家族や友人、仕事や仕事仲間、趣味、家や車、人生を構成する要素の中でどんなものよりも一番長く時間を共有し、苦楽を共にしてきた。

仕事の締切を守れず四苦八苦していた時。思っていたパフォーマンスを出せずもがいていた時。よく分からないバグに悩まされていた時。本番の障害対応でアタフタしていた時。モチベーションが分かず何をするか迷っていた時。体調が悪くて苦しんでいた時。個人的な事で困り果てていた時。

どんな時もEmacsを開いて、情報や考えをまとめたり、必要な処理を行ったり、気持ちを書き出したり、そうやってきた。そして自分なりのinit.elを作ってきた。苦しい時ほど、Emacsに頼ってきた。

たいして分割もしてないし、整理整頓されてもいない粗雑なinit.el。それでも手塩にかけて育てたEmacs Lispだから一番信頼している。