ここ数年でネガティブな感情が増えた。最近特に、それも人間関係についてだ。 このブログは技術の内容がほとんどなので内容的には全くそぐわないかもしれないが、特に書くジャンルを固定しているわけではない。 だから今日はこのことについて書こうと思う。

SNS

ここ数年の間、私を精神的に蝕み続けていたものは、身近な人が私を貶めるような内容をSNSに投稿していることだった。 知っている人からみれば誰のことを言っているのかわかるよな内容を、一方的な言い分によって書かれていた。 これは1度や2度ではなくて、数年間断続的に行われていることだった。

それを書いている当人にとっては、どれだけ叩いてもよいサンドバックのように考えて投稿しているのだろう。 もしくは何も考えていないかもしれない。少なくともその投稿のせいで傷ついている人がいるということを想像できないようだ。

そういう投稿は無視するしかない。 反論したい気持ちも出てくるが、ネット上での口論ほどくだらないことはない。 だから反論はしない。

SNSを見ないように努力したが、時折見てしまう自分もいた。 そしてふとしたタイミングでまた書かれていることに気付く。 ずっとその繰り返しだ。この状況に想像以上に苦しめられた。

社会との繋がり

もともと私は人付き合いが多い方ではなかったが、いろいろな活動を通して名前を知って交流してくれている人も増えた。 それに伴っていろいろな批判をもらうこともあったし離れていく人もいた。それは悲しかったが仕方のないことだった。 だから真摯にそれを受け止めて、自分にできることをするしかなかった。

ただ身近な人からの悪口は私にはとても堪えた。人付き合いの少ない私にとっては、そもそも社会とのつながりが薄い。 だから身近な人というのは貴重な社会とのつながりだ。その比率は当然大きい。周りにいるひとは大切にしたいと思う。 だからこそ私の人格を貶めるような行動を取ることが信じられなかったし、それが身近な人ということが何よりも辛かった。

人間性と思考のクセ

なぜ身近な人のことについて、SNSに悪く書くことができるのだろうか。 それはきっと誰かに言い分を聞き入れてほしいという気持ちがそうさせている。 SNSに書くのは同調する者を募りやすいからだろう。 居酒屋で話されている会社の愚痴などと同じだろうけれど SNSのほうが同調者を募るコストが低い。だからSNSに投稿する。 これは思考の癖になりやすいので気をつけたほうが良い。

選択

この状況を改善するためにはその原因から離れたほうがいい。 SNSはやはり見ないほうが良いし、ノイズが届かない状況を作るべきだろう。 私の人付き合いの悪さは変えようがないが、もしそれが更に狭くなったとしても心の安全を脅かすものは近くには置いてはいけない。 なぜここに居るのか、本来の目的はなんだったのかを再確認して、自分に課された役割を果たそうと思う。 そして私のことを大切にしてくれる人たちを、大切にしていこうと思う。

おわりに

本来はこういう内容は書くべきでないようにも思う。 ただ考えたこととして記録し散文として残しておきたかった。 しばらくはもうこのことに付いて考えることはやめる。 辛くなったらまた読み返そうと思う。